【第199号】東京・ロンドン間飛行世界新記録 飯沼正明

 米国のスミソニアン航空宇宙博物館の博物館誌に「日本のリンドバーグ」として飯沼正明が紹介された。今年の8月号で脚光をあびている。
 昭和2(1927)年4月、26歳の飯沼正明飛行士は、「神風号」で東京・ロンドン間を94時間17分56秒で飛行し、世界新記録を樹立した。6日午前2時12分4秒に東京立川飛行場から、台北・ハノイ・ビエンチャン・ラングーン・カルカッタ・カラチ・バグダッド・アテネ・ローマ・パリを経由、10日午前零時30分にロンドン着。
 正明は、大正元(1912)年8月2日、南安曇郡南穂高村細萱(安曇野市)の生まれ。8年に南穂高尋常高等小学校に入学。3年生の頃、教室の窓から豊科出身の長谷川清登が乗る飛行機を眺めて飛行機が好きになり、大空を志す動機となった。
 15年4月に松本中学校へ入学。競技部に入って短距離を走り、山岳部に入った。控え目でおとなしく、口かずの少なかった。昭和6年3月に中学校を卒業し、逓信省委託操縦生として埼玉県所沢陸軍飛行学校に入学。10月、朝日新聞社へ航空部員として入社、8年9月、大阪朝日新聞社へ転任。
 11年8月、ベルリンオリンピック大会の開催中、正明はハルピンでベルリン特派員の映画写真をひきついで大阪へ運んだ。日本最初の長距離高速通信飛行だった。
 13年5月におこなわれる英国国王の戴冠式を奉祝して、東京・ロンドン間を、国産機での飛行計画が、朝日新聞社によって立案された。飛行時間の懸賞募集がなされ、声援歌も作られて、国民の期待がもりあがった。郷里南穂高村では、氏神で成功祈願祭が村主催でおこなわれ、母校の小学校全児童の太幟や千本幟が奉納された。
 帰国から50日後の12年7月7日に日中戦争が勃発。16年6月、陸軍航空本部嘱託となり、12月4日に陸軍技師に任官、正明は12月8日の真珠湾攻撃をサイゴン飛行場で耳にした。その3日後の11日、プノンペンで亡くなった。30歳だった。

筆者紹介 : 小松 芳郎

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