【第129号】明治の大火で尋常中学校が焼失

「南深志本町極楽寺出火(過失)、午後九時極楽寺より出火。烈風にして風位屡々変化のため、最初、天神小路、飯田町に延焼し、さらにその火勢は三方にわかれて、西方は、本町三丁目、四丁目、伊勢町に延焼し、飯田町より中町にいたる。東方は天神小路より、小池町、宮村町に移り、中町にいたって東方神明小路まで延焼、北は女鳥羽川岸に達し、なお本町一丁目、二丁目も焼き払う。火勢はさらに北深志六九町、土井尻町、大名町、小柳町、辰己町、緑町、地蔵清水の各町を焼き尽くし、午前六時鎮火」。

松本の南深志町大火の記述だ(『松本市火災史』)。この大火の類焼戸数1537戸、6人が焼死した。千歳橋近くにあった松本警察署と神道分局も焼失した。明治20年10月に本町から中町3丁目に移されていた松本郵便電信局も焼失。六九町の松本電信分局は延焼を免れたので、ここで郵便業務が再開された。本町から伊勢町にかけても焼失したが、開智学校は無事だった(2か月後の4月2日に「松本開智尋常小学校」と改称)。

大火3日後の1月7日の新聞『信陽日報』をみると、小柳町・辰巳町・大名町は全焼し、地蔵清水と柳町の通りの間にあった尋常中学校も焼失した、と記事にある。現在の日銀松本支店の場所だ。

長野県尋常中学校の発足当時(明治19年9月8日、松本へ統合改称)の寄宿舎は、かつての長野県中学校松本支校舎の一部(松本城二の丸)があてられていた。教場は、師範学校跡の校舎を使用していたのである。長野県師範学校は、明治16年に松本に統合され、19年に長野県尋常師範学校と改称して、長野に移転していた。

その旧師範学校を使用していた尋常中学校が焼失したのだ。

火災後、東筑摩郡が所有する長野県中学校松本支校舎跡の建造物を、増改築して校舎とした。そして、尋常中学校の新校舎落成式は、22年5月5日におこなわれた。25年には、講堂や体操場などが増築され、31年には、校舎が改築された。

筆者紹介 : 小松 芳郎