【第117号】長野県尋常中学校の時代

長野県尋常中学校が設立されたのは、明治19年(1886)9月8日のことだ。長野に本校が置かれた長野県中学校(支校は、松本・上田・飯田)の設立が17年9月1日だから、2年後に、本校が松本になったわけだ。このとき、小林有也校長も松本に来た。

尋常中学校は5年制だった。師範学校が松本から長野に移転したため、旧師範校舎を本館とし、二の丸の古山寺校舎を農業科や商業科教室などとした。

21年1月4日の南深志町の大火で、尋常中学校校舎が焼失、二の丸の校舎に移った。

この「尋常中学」がいつまで存続したのかがわからなかった。『長野県松本中学校・長野県松本深志高等学校九十年史』の年表に、そのまま校名として使われていたからだ。同窓会資料保存管理委員長の百瀬哲夫氏の指摘もあり、資料の裏付けもとれた。

明治32年4月に松本尋常中学校と長野尋常中学校としてそれぞれ独立する予定だったが、同年2月7日公布の勅令第28号「中学校令」により、「尋常」がなくなり、「中学校」と改称されることになった。「中学校令」(明治32年2月7日公布)の附則第19条には「本令ハ明治32年4月1日ヨリ施行ス」とあり、第22条に「既設ノ公私立尋常中学校ハ本令施行ノ日ヨリ中学校卜改称ス」とある。

そして、4月1日から「長野県松本中学校」となったのだ。前日の31日には、尋常中学校の最後の卒業式がおこなわれた。「小林有也校長不在のため村田教頭式言代読」と、『深志140年のあゆみ』にある。

『140年のあゆみ』92頁「学校名の変遷」も、「長野県松本中学校」とした。同窓会会員名簿の「本校の沿革」も修正してもらった。

なお、このときから長野支校は「長野県長野中学校」となり、上田支校は長野中学校上田支校、飯田支校は松本中学校飯田支校となった。

明治17年9月設立の「長野県中学校」(長野)から、19年9月設立の「長野県尋常中学校」の設立をへて、32年3月までは、1県1中学校の時代だったことになる。

筆者紹介 : 小松 芳郎