【第105号】141年前の中学校の発足

年が明けて平成29年(2017)、昨年の創立140周年の起点となった明治9年(1876)は141年前のこととなった。

この中学の成立については、『深志百年』(昭和53年3月発行)に、「九十年史補遺 中学創成期―変則中学校誕生から県立中学校成立まで―」(745頁から788頁)として、佐藤玲子さん(深志第3回卒)が詳しくまとめている。これによって中学校のそもそものはじまりをみてみよう。

明治9年7月、第十七番中学変則学校が開設された。この変則中学校は、開智学校上級生徒2組を仮に中学生と定めて発足したといわれる。学制に定める中学は、小学全科卒業生を入学させることになっていたが、第十七番中学変則学校開設当初の入校生は、ほとんどが上等小学の八級、七級、六級からの転入生だった。

生徒募集の広告が『信飛新聞』に掲載されたが、たびたびの広告にもかかわらず応募者がほとんどいなかった。中学校に対する人びとの認識は薄かったのだ。募集人員は60人、年齢は13歳から30歳まで。実際の入校受付は7月10日からだった。

変則中学校開設当初の生徒数は、明治9年が60人(うち退校11人)、10年が38人、11年が34人、12年が18人となっている。この4年間の入学者150人に対して、退学者は全部で115人になる。

校名については、第十七番中学、開智学校変則中学課、筑摩県中学校、松本中学校変則課、変則中学など、当時の文書にはいろいろな呼び方があったという。筑摩県の布達には「第十七番中学変則学校」とあるので、それを正式名称としている。

ちなみに、同窓会の会員名簿(平成28年刊)では、組合立第1回(明治14年、公立松本中学校)の7人から掲載され、松中第1回は明治18年(卒業生10人)からはじまっている。

創立は明治9年だけれど、松本中学の卒業回数は18年の松本中学校松本支校(17年9月1日設立)からということになる。

筆者紹介 : 小松 芳郎