【第95号】使命をおえた深志百年館

昭和50年(1975)7月の『松中・深志高創立百年記念事業計画書』に、「深志の森の造成」「深志記念会館の建設」があげられている。

深志の森の造成は、「袴腰の北斜面、女鳥羽川の源流域一帯に、県有林が凡そ百数十haあります。この県有林の中の20ha、約20町歩の林野を第1期契約として県より借り受け、これを学校林深志の森として、今後国、県と共同して植樹計画を実行するものであり、在校生1200名がその実践活動に当たる」とある。

会館の建設は、「深志の森隣接の県有林中に、眺望絶佳にして、高度1300m、自動車の乗入れ可能であり、飲料水の豊富な地点があり、これを凡そ6600㎡余県より借受けて、同地に建坪総計460㎡の近代的深志記念会館を建設する。この会館は同窓生、生徒、父兄等の適時利用は勿論、在校生徒植樹の際の宿泊場、また夏期林間学校、精神修養道場としての利用計画等を目論む」という計画だった。

その概要は、「一部鉄筋コンクリート木造2階建、延建坪約460㎡、設備では、広間、個室にて100人宿泊可能、温水シャワー室、厨房他」であった。

収支予算書には、収入は募金8000万円。支出のうち、深志の森植林費1200万円(年間3ha6年計画造林)、植林器具費100万円(植林用、下草刈用器具100名分)、会館建設費4000万円(厨房、照明器具、貯水タンク、給排水浄化設備費を含む)、会館備品費300万円(寝具、勝手道具、その他備品)だった。

昭和51年10月7日の信濃毎日新聞には、「自然園の拠点となる深志百年館は、11月初旬に完成する。動植物の資料や顕微鏡、天体望遠鏡、気象観器材などを備えた資料室、研修室、それに和室、台所など延べ350㎡、二階建ての建物だ。約60人の宿泊が可能で、泊まりがけの課外活動ができるといい、総工費は4300万円」とある。

この百年館が、この6月に取り壊され、その使命を終えた。

筆者紹介 : 小松 芳郎