【第91号】深志のクロ

『深志とクロ』(昭和48年3月発行)という本がある。「深志高校のクロの委員会」の発行で、編集者は、大貫悌二・柴野武夫・藤岡改造・望月義宏の四氏。私は、大貫先生に美術を、藤岡先生(筑邨)に国語を教わった。この本はクロの写真を中心にした16頁の本だ。

クロは授業についてきて、始まると教壇の上におとなしく坐って聞いていた。クロが職員住所録に掲載されたりもした。「会議長く暑しだらりとクロ寝てゐて」(筑邨)。

別な記録によれば、クロが深志にやってきたのは昭和35年(1960)の夏頃という。翌年の第14回とんぼ祭の1年5組の「世界の銅像めぐり」で、西郷隆盛像の犬の張りぼてが間に合わなかったので、クロがその代役をつとめ、拍手喝さいを浴びた。当直の先生と校舎の巡視などもした。大勢の生徒がいても、深志の生徒かよその生徒かちゃんと見分けがついて、よその生徒が来ると鳴いた。クロの仔は、数えきれないほどだったという。化学室の縁の下が、クロのお産場所だった。一番産んだときは7匹。1匹ずつ連れてきて人に慣らしては、また1匹と連れてきた。

45年10月にはSBCテレビの「ズームイン信州」に出演、その後、朝日新聞の全国版をはじめマスコミに騒がれるようになった。

47年6月には重い病気にかかり、校友のカンパでの投薬が効きいったん治ったが、11月30日の朝、悪性腫瘍により昇天、校歌で見送られた。「先生にも生徒にも可愛がられクロ18年をよくぞ生きたれ」(国見金熊)。12月1日には応管主催の追悼式が行われた。翌48年3月8日、NHK総合テレビ「スポットライト」に「校友クロ」が放映された。

クロは深志に12年間ほどいたことになる。私の深志の3年間も、クロの時代だ。

平成14年(2002)に、「さよならクロ」が映画化され、深志の生徒200人がエキストラとして参加した。映画の公開開始は15年6月21日だった。私は、映画は観ていない。

筆者紹介 : 小松 芳郎