【第39号】古田晁と臼井吉見

柏原成光著『友 臼井吉見と古田晁と』(紅書房、平成25年11月発行)を読んだ。

臼井吉見は明治38年(1905)南安曇郡三田村(安曇野市堀金)に、古田晁は39年に東筑摩郡筑摩地村(塩尻市北小野)に生まれた。

2人は大正7(1918)年4月に松本中学校に入学した。冬季は松本市内の安原で一緒に下宿した。臼井は、3年生から『校友』の編集委員となった。

後年、臼井は「上級生のなかには、特色のある個性的な人が多かったので、それらの刺戟が、学校の授業よりはるかに魅力がありました。そんな刺戟と魅力が、ぼくの精神の世界を広げてくれることに大変役立ったのです」と述べた。

大正12年、2人は松本中学を卒業。臼井はその年の4月に松本高等学校に進学、古田は1年遅れて同校に進学した。東京帝国大学に進んだ2人の下宿も同じだった。

古田が出版事業に着目したのは、「岩波書店のした仕事は、ひとつの大学が建つぐらいの寄与を日本文化にしている。ひとつどうだい」という臼井の一言にあったという。34歳の古田は、昭和15年1月に筑摩書房を創立した。

20年1月27日、銀座の筑摩書房本社が空襲で被災、本郷へ移ったが3月には強制疎開で取り壊され、貴重な紙もすべて失った。

同年9月、古田は筑摩書房の再興をはかった。40年、筑摩書房創業25周年に、臼井吉見の『安曇野』第1巻が刊行された。

48年10月29日、昼食をすました古田は、上野の日活で、松中の後輩熊井啓監督の『朝やけの詩』をひとりで観た。その夜、数軒の酒場を巡り、ハイヤーに乗って自宅に着いた30日午前零時30分、心筋梗塞のために逝去、67歳だった。

古田晁は『深志人物誌』に、臼井吉見は『深志人物誌Ⅱ』に掲載されている。

筆者紹介 : 小松 芳郎