【第27号】松本城二の丸から蟻ケ崎へ

松本城二の丸にあった松本中学校校舎の新築場所は、昭和6年(1931)9月16日に蟻ケ崎に決定した。整地工事の開始は、翌7年3月からで、失業救済事業と結びついた1万2000坪の整地が完了したのは約6か月後で、10月14日に地鎮祭がおこなわれた。

本館は、8年12月7日に竣工した。この本館は、様式が近世ゴシック式、鉄筋コンクリート造り、3階建て、玄関・宿直室などは一部平屋建てだった。

引き続いて、講堂・特別教室(第二棟)・雨天体操場・表門などもできていった。講堂は鉄筋コンクリート造り、平屋建てだった。

新校舎は昭和10年5月20日に落成し、この新校舎で授業を開始したのは、2学期の9月2日からだった。

10年4月に入学した私の父は、このときの思い出をのちにノートに記している。それによれば、1学期の間は、週に一、二度、新校舎に行って庭園の土ふるい、石拾い、地均などの作業をした。授業開始にそなえて、夏休みが始まってから移転作業を2,3日した。城下から高台まで、机や腰掛、物理・化学・博物などの実験器具、標本などを、長蛇の列をなして運んだ。

この昭和10年3月18日に、松本商業学校で新校舎新築が決議されている。東洋一といわれた本校舎は、木造2階建て、瓦葺、講堂は、鉄筋コンクリート1階建て、スレート葺だった。今井五介が中心になって、松本中学の新築移転を契機に奮起したものだ。こちらの新校舎での授業開始は、12年2月1日であった。

筆者紹介 : 小松 芳郎