母校の登龍門左手の林の中に小さな記念碑がある。「学燈五十年同窓の地光あれ我等が母校」。松本深志高校定時制の閉校記念式に併せて昭和47年11月に建てられた。
深志定時制の起点は大正13年(1924)に発足した私立夜間松本中等学校にさかのぼる。商家などで働く人たちに中等教育を受けさせたい、と初代松本市長・小里頼永が開校に奔走した。不況に向かう時代にあって、商都の有力者らが出資要請に応じた。
私立から市立、県立への移管、戦後の学制改革や「深志三部」と呼ばれた校史を経た。夜中、三部、定時制の卒業生で構成される蛍雪会が同窓会の一翼を担う。
「二中(現・松本県ケ丘高校)を追い越せ、昼間(深志全日制)に追いつけ」を合言葉に働きながら学んだ。陸軍士官学校や海軍兵学校、松本高等学校などに進む同級生を誇りにした。
「蛍を集め/雪を積み/励みし人を鏡にて」「いばらの道を踏みてこそ」と校歌の詩篇にある。卒業式の定番だった「蛍の光」は遠景となり、刻苦勉励という四字熟語は、もはや死語だ。
多くの先輩たちが苦労して得た豊かさの中に空虚さが広がる。学びだけに打ち込める時間を与えられた現代の高校生は幸せであるはずなのに。