【第42号】こいのぼり

母校第1棟の屋上で今年もこいのぼりが泳いだ。青、黄、赤、緑、茶の五色に黒々とした目。胴回りのところどころにトンボが描かれていた。時の校長にあやかる伝統を受け継ぎ「正吉2号」と命名された。製作は応援団管理委員会の手による。

ルーツは昭和26(1951)年にさかのぼる。日本晴れのある日、前庭の桜の木の下で談笑していた当時の岡田甫校長と3年生たちとのやりとりだった。

「こんな時はこいのぼりを立てればいいがなあ」「それじゃ先生。俺たちが作ってみるで、紙と糸を買っておくれや」。和紙を貼り合わせて作ったこいのぼりに岡田校長が目入れをした。

同校長の退任で製作が途切れるも、平林六弥校長時代の44年に復活を遂げる。応管が校舎のカーテンを使ってこいのぼり「平林1号」を作ったのだ。銀鱗のように輝いて見えたのは、実はカーテンに付いていたリングだった。

深志、先生、生徒の関係を示すかのように、こいのぼりはその時代の風をはらんで遊泳する。風薫る五月。爽やかな季節だが急に冷え込んだり強風が吹き荒れたりする。若葉にはつらい時期でもある。試練の流れに向き合い、真鯉も緋鯉も学びの上流を目指してほしい。

筆者紹介 : 伊藤 芳郎