【第22号】深志の野球

炎暑の夏の記憶のひとつは、深志高校野球部が甲子園の大舞台まで「あと2つ」と迫った13年前の熱球譜である。全国高校野球選手権の長野大会で4強に勝ち進んだ。頂点直下で敗れたものの、53年ぶりの快進撃に全国の蜻蛉群像が銀傘で声を枯らす夢を見た。

長野市の準決勝会場に、昭和22年に甲子園初出場を果たした往年の選手たちの顔があった。蚕のサナギが貴重なタンパク源という時代、雑炊と芋飯で空腹を満たした。成田中との初戦は0-10で完敗を喫する。疲労性下痢や発熱とも闘っていた。

「2点リードしていたら1点やってもいい。0点に抑えようとするから萎縮する。ピンコラ、ピンコラ楽にやっていて、気がついたら勝っていた-そういう野球をやれ」(『野球部の一世紀』より)。

当時の大島中夫監督は「ピンコラ野球」を説いた。勝つという意識ではなく、負けないように、と取り組む姿勢である。選手自らが考え、工夫しながら高める「考える野球」の真髄でもあった。

打線はつなぎ、投手は打たせて取り、しっかり守って流れを呼び込む。何よりも心の力を合わせたチームワークが欠かせない。体力や技術だけでは決しない栄光と涙に、深志野球の魅力がある。文武両道の体現を願い、夏に一度めぐり来る大きな夢を毎年託してる。

筆者紹介 : 伊藤 芳郎