佐藤 京子(26回)
佐藤臼井事務所(株)代表
尚学塾の機会をいただいて思い返してみると、深志高校時代に自分の「好き」と「得意」が実は形作られていたことに気づきました。
「好き」は音楽。室内楽でヴァイオリンを弾き、はじめてドイツから来日したオーケストラを聴き、音楽が習い事から楽しみに変わりました。「得意」は人の営みと自然・社会環境の関わりを観察し、法則性を見出す地理学的な思考スタイルでしょうか。
薬学部から理学部地理学科大学院へ進み、研究職についたものの工業用模擬プラントの中で実験の日々は自分には向かないと感じ、1年たらずでジャスコ(現イオン)へ転職しました。ジャスコは雇用機会均等法施行前から大卒の待遇に男女差がなく、事業上データ活用を本格化していました。周囲は驚きましたが、母は女性として自由に仕事や生き方を選ぶのを応援してくれました。本社商品企画本部に在籍し、PB(プライベートブランド)の海外生産に初めて着手しました。国内外の産地やメーカー、お客様と接し、素材や工場の選択、商品仕様や提供方法、利益管理まで自分で企画、実行、検証するというダイナミックな日々でした。社内異動で「環境・人権・動物愛護」をミッションとする英国化粧品ブランドの日本法人立ち上げに参加した時には、企業としての社会的な責任のあり方や、価値観の異なる多くの国の人々との協働を経験しました。
その後、縁あって外資系のファッションブランドに移り、化粧品部門の百貨店販売統括から全社の組織開発を担いました。事業そのものがアートのような、合理性とは異なる価値観に驚きの日々でした。社長とひいきの指揮者談義をしたり、プロジェクトの報酬がデザイナーのオリジナルデッサンだったり。そんな中で年代や国籍など多様なメンバーとのコミュニケーションのためにスキルとしてコーチングとファシリテーションを学びました。
この会社でのミッションが一段落し、イオンに再入社後、ドラッグ・ファマシー事業最高経営責任者に着任しました。当時のドラッグストア各社は創業オーナーの時代でしたので、私は取締役という立場ではありましたが、創業者の事業に対する深い愛情や地域への思いの強さに学ぶことが沢山あり、また事業をはなれて工芸や美術の世界に触れる機会をいただき交流は退任後もつづきました。50代半ば過ぎから産学連携のプロジェクトを進める傍ら外資系化粧品のセレクトショップの立上げを担いました。 チャンスを招き、チャンスを活かして「機嫌よく働く」コツは自分自身の多様性を磨き、異なる価値観をうけいれることだと思います。「自然は真空を嫌い、人は平等を忌む」という箴言(しんげん)があるように、ダイバーシティを標ぼうしても人の価値観は簡単にはかわりませんが「とりあえずYes!」でいくと「ガラスの天井」はドーム球場のように時々開いて青空が見える、その時がチャンスだと思っています。
