【第245号】やりたい事はいつから始めても遅くない

関 克久(26回)
あづみ野ジャズプロジェクト代表

  21才でニューヨークに行き、41年後に帰国した帰国子女ならぬ帰国前期高齢者です。

 尚学塾では、早稲田大学を中退してトランペット1本持って渡米、音楽に挫折してサラリーマンになり、JTBで33年間勤務、帰郷しジャズトランぺッターになったことなどを話しました。41年も経ってから渡米の原点に戻ったので
「やりたい事はいつから始めても遅くない」というテーマでお話しました。

 3年8組の担任だった中村先生と進学面談をした際に「関君は何が得意なんだ?」と聞かれ少し間をおいて「耳がいいです・・」と答えたところ、先生は言葉に詰まってしまったことを覚えています。このトンチンカンな答えさながら有名ジャズ研がある大学ばかりを受験し、晴れて早大のハイソサエティーオーケストラに入団しました。ところが、練習し過ぎで音が出なくなってしまいフィラデルフィアの先生を訪ねての渡米と相成りました。

 高名な先生でしたが80才近い方でおまけに入れ歯で英語が解らず、なかなか上達しない中でお金も底をつき、ビザも切れてしましました。それでも滞在したいので、永住権をとるためユダヤ系日本レストランで6年間働きました。ステージがあるライブレストランだったのでビッグバンドを編成して毎週演奏させてもらいました。

 永住権が取れリムジンドライバーをやった時にお客さんとピアノバーに行ったところ、隣テーブルにJTBの総務担当者がいて「面接に来なさい」と言われたのがきっかけでJTBに33年間勤務することになりました。毎年20%成長する分野は旅行業とITと言われていて、もしIT業界に就いていたら大金持ちになったでしょうが、JTBではシステム開発や事業立ち上げから経営までサラリーマンとしてやりたいことは全てできた充実した33年間でした。

 母親が高齢という事もあり、帰郷してハローワークで面接を手配してもらうもことごとく不採用、流石に落ち込んだのですが居直って
「かくなるうえは好きなことをやるぞ!」
と腹を決めて原点に戻りトランぺッターになったという次第です。仲間にも恵まれ毎週日曜日のホテル翔峰でロビーコンサートや定期的にジャズライブをやっています。

 尚学塾でお話した翌日にライブに見えたお客さんから
 「昨日深志で講義しました? 孫がアメリカに留学したいと言い出した」と言われて、なんだか嬉しくなりました。

 最後にテーマを修正します。
    41年も待たなくても良かった・・「やりたい事は今すぐ始めましょう!」

Azumino Jazz Quartet 池田町創造館でのライブ