【第231号】医学とは多くの科学の交わるところ

筆者:武田克彦(24回)
文京認知神経科学研究所 所長

 2022年11月尚学塾「特別授業」で「生まれ変わってもまた神経内科医に」という題で在校生を前にお話をしました。そこで言い足りなかったことなどを、付け加えさせていただきます。

 授業ではまず「いかにして神経内科医になったか」を述べました。神経内科医になったのは、恩師の一言などさまざまな事柄の堆積の結果です。なってからは、言ってみれば刀で切るか切られるかというような、真剣勝負の世界に身を置くことになりましたが、そういう場面にいるということは幸せなことと思います。その後神経心理学、脳科学のお話をしました。

 さて医学の未来というと、「患者は生化学的、遺伝的、免疫学的な問題を示す存在であり、たとえば手術室で行われることなどはAIなどコンピュータによって完全にコントロールされている。これからは、より科学的な見方に習熟するために遺伝学や生化学、コンピュータ・サイエンスの勉強と少しの英語が必要」と思っている方もおられるでしょう。私はそうではないと思います。個々の患者は、分子、細胞、遺伝、環境、社会などの無数の影響の産物であり、これらは健康や病気を決定づけるために複雑に相互作用しあっています。言ってみれば医学は、多くの科学の交わるところで、分析的思考や定量的評価やヒトの生物学の複雑なシステムの分析のみでなく、文学、言語、ヒトや社会の科学などを含む自由なアートの教育が医師になるためには求められると思います。私の授業でも、患者(家族を含めて)、同僚の医師やナースなどの医療スタッフとのコミュニケーションが大事なこと、観察したことを明晰な文章で記載することも求められていると話しました。高校時代はすべての授業に興味を持って取り組む、学業に費やす時間を十分にとることが大事と強調した理由はこういうところにありました。

 最後に、医師は社会の動きにも関心を持つことが必要ということを述べたいと思います。「全ての細胞は細胞から生じる」と明確に説いた生物学者ウィルヒョウは、1848年の各地におけるコレラやチフスの流行に際して、病める社会を目の前にしてこう述べたと言われます。「何のために、国民のうち富裕な階級の人々がごく小数の犠牲者を出すだけですんだ一方で、何千人というプロレタリアートは死んでいったのか。」高校在学生の皆さん。政治経済、日本史、世界史の勉強も含めて、あらゆることに興味を持って勉学に励んでください。